出雲と青森、行き交う縄文土器から逆潮海流を考える

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内山香織 Kaori Uchiyama

 行き交う縄文土器について。縄文人が他の地域と交流していた事が調査から明らかになってきている。ある場所で作られた特徴的な道具が他の地域で発見された事が根拠となったからである。人々の移動という動き自体は見えないが、道具を人が創りだした結果、人々と共に持ち運ばれ、移動という見えない時間を知る事ができる。道具は物という視点だけではなく、暮らしや生き方を伝え、人類の経緯を考える上でなくてはならないものだと考える。

 例として土偶を軸に交流を考察する。出雲下山遺跡の屈折土偶は、福島県上岡遺跡のしゃがむ土偶が元にされていると考えられている。屈折像土偶は東北以外で発見されておらず特有の造形だからである。土偶だけではなく同様に東北特有の造形特徴をもつ注口土器や亀ヶ岡文化の特徴をもつベンガラを使用した土器も発掘されており出雲と東北との交流が考えられよう。東北の屈折像の姿勢、黒漆をベースに赤漆が塗られたものが多く、顔や漆の特徴は北海道で発掘された中空土偶との近似点を持つ。

 次に移動から交流を考察する。東北から出雲への移動方法については明らかではないが、陸だけでなく海ルートの可能性もあるのではないか。遺伝子研究にて出雲と東北人は類似性が発見され琉球人ともグループ化し、東海や関東人とは別グループと分けられる発見がされている。陸伝いだけで移動していたならば間の地域と徐々に交雑すると考えられるが、離れた地域同士の類似要因は空か海越え、つまり舟での移動も考えられないだろうか。出雲から東北へは対馬海流が順潮であり、東北から出雲は逆潮だが、沖合の対馬海流(逆潮)に対し海岸に沿い反流が生まれ出雲まで風と波を掴み渡る航海実験録もある。潮は真直に進むだけではなく様々な動きがあることがわかっている。間の日本海沿岸部では縄文時代の舟や交流の痕跡と見られる道具が見つかっている事から出雲と東北は偶発的な漂流ではなく道具を持ち運び、目的をもって交流した可能性も考えられよう。道具は物体の存在だけではなく、形や紋様、利用方法が意味をなし人々の暮らしに関わる普遍的な感覚をもたらせていたのではないか。

参考文献:

  • 稲田孝司(2010年), 『旧石器人の遊動と植民 恩原遺跡群』, 新泉社
  • 海部陽介(2016年), 『日本人はどこから来たのか?』, 文藝春秋
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  • 島根県立古代出雲歴史博物館ウェブサイト、2021年11月21日閲覧, (URL: https://www.izm.ed.jp/)
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  • 岡敬三(2019 年 ), 「逆潮の日本海」, 『Kazi』5月号、6月号, 舵社