「ちがうから、おもしろい!」 フェロー諸島北西の島で出逢った方の言葉

「このベンチに座って村を眺めるのが好きなのよ」村人の散歩道にて。

言語に興味があり日本語を学びに来日した彼女は、ご主人と出逢い、東京に20年近く暮らしたそうです。日本に住んで興味深かったことを伺うと、

「大学時代のホームステイ先で食べた、”骨せんべい” には驚いたわ。
同じようにたくさん魚を食べてきたのに、その食べ方は思いつかなかった!」
「知らないものを知ったり、ちがうから、おもしろい」

と朗らかな笑顔で話す彼女の言葉が、心に残っています。

お兄さんの趣味はスイーツ作り。焼きたてのケーキにホイップクリーム。頬が緩みます・・

お店はあまりないから皆自分で作るのが殆どだそうです。料理も、修理も何でも。

お父さんの得意料理は、豚肉の生姜焼きで、弟さんの大好物。

おすすめのコンビネーションは、パンにチーズとルバーブジャム

お兄さんの夢は、フォトグラファーになること。
スヴィノイ島(Svínoy)やフェロー諸島のことを伝えて行きたい思いがある。

夢に向かって70kgのルバーブジャムを作り、バザーで販売し大好評で寄付を集める事ができ、念願のカメラを買えたそうです!

※参考リンクから彼の日々の便りをぜひご覧ください

彼らの空色の家のルバーブ畑

ルバーブやじゃがいもが実る畑には、煮物にしようか卸しにしようか、と和食用に植えたという「大根」の白い姿もありました。

季節の野菜が瑞々しく育つこの庭は、彼らのお爺ちゃんのそのまたお母さんの時代からの遊び場でもあったそう。

冬の暖、今も大事な燃料の一つ、ピート(泥炭)。

夏にたくさん掘って、ピート小屋で乾かし、冬に備える。

女性や子どもが家に運ぶ仕事を担ってきて、電気がくる前はたくさん使っていたので大変だったそうです。

子どもたちの通う学校だけ、フェローの南の島で採れるコールを使い、みんなが登校する前に毎朝、村のおばあちゃんが教室を温めておいてくれた思い出は、45年前のこと。

村人の散歩道を抜けて丘を登ると古いピート小屋の跡。海の向こうに、フグロイ島(Fugloy)を臨む。

時を経て、営みの痕跡に立つ人は変わっていきますが、目の前に広がる景色はどのように感じるでしょうか。

フェリー着き場とは別の場所にある船着場。季節や海流によって使う。

「夏は、魚がよく釣れて、叔父さんが釣った鮭を、お寿司にして食べるのを楽しんだりの時期。
夜もずっと明るいから、”Gevi minir(ジェウェ ミーネル)” という遊び、日本でいうかくれんぼをよくする。緑の草原に伏せたりして隠れ、探す方が暗号を言うと、隠れている方が返事をする。
何処にいるかを、耳を使って音を頼りに探すゲームだよ」

「冬は、海からの日の出と赤い空。冬は嵐が多いけど、クリスマスの頃、星がすごく綺麗だった。あれは確か、月がない寒い夜」

なぜだか、私は、まるで隣にいたかのように、懐かしく想う気持ちになりました。

「太陽のおかげで風がくる」、風の言葉。

フェロー語には雨や霧、風、天候やサイクルの状況からくる自然の様子の言葉がたくさんあります。彼女の好きな風はハッピーな気持ちやいい気持ちの風、「Lot(ロット)」。
雲が覆っていた空の隙間から、太陽が顔を出した時に吹く風は、「Sólvindur(ソルウィンドゥ)」といい、感謝する気持ちを持つそう。

天気に関する言葉が多様なのは、フェロー諸島の歴史、バイキングの暮らしの上でも重要だったのかもしれませんね。

村のダンスホール。修繕を重ね1908年から守られているそうです。

バイキングの言い伝えを歌と踊りで表現する、フェローの伝統、チェーンダンス。

リードシンガーが皆を引っ張り、フレーズを繰り返し合唱し(リフレイン)、リズムに合わせて全員で輪になって踊る。

バイキング時代から続くこの舞踊は今ではフェローにのみ残るそうで、世代、世代に伝承し続けてきたことは、固有の言語や文化の継承に関わってきたのかもしれないと感じました。

“一言で表すなら、家族。家族がいる、友だちがいる、このスヴィノイにいるのが、私は一番好きなの”

チェーンダンス、村のダンスホールにて。

 

 

◾️参考リンク:

スヴィノイ島(Svínoy)で出会った方は、

現在、日本人ツーリスト向けにツアーガイドをされています。

フェロー諸島への旅をご検討の際は、ぜひホームページをご参考ください。

悠久を感じる自然の中、のんびりとした時間との出逢いを。

 

Nonbiri Travel
https://www.nonbiri-travel.com/

 

フェロー諸島からの日々の便りはこちらから拝見できます
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